尺寸/重量
長度(X軸):16.5cm 寬度(Y軸):12cm 重量:2.81kg
文物描述
1.《臺灣寫真大觀》編號61之黑白照片,影像內容為位於新高主山山頂上的新高祠,為石造神社,石材採自濁水溪的石頭,建於1925年。
2.照片右側貼有說明文字:「61新高神社 日本の最高峰新高主山の絕頂にある。石造の神社である未だ無社格ではあるが、祭神には臺灣神社一座と大山津見神一座とを祀つてゐる。この神社の起りは明治三十九年十月二十日森丙牛氏が登山の際山頂を極めて臺灣神社の神符を山上に奉祀し翌年十一月山口宮司の祭文と共に小祠のうちに祭つたのに始まつてゐる。後大正十四年六月十七日時の新高郡守今井昌治氏か但村田前郡守の計畫を引繼いで建立したのである、當時の警察職員、蕃地警備員及び蕃人等の出役から成るもので、寫真の如く拜殿、玉垣、社殿等全部濁水溪底の砂石で造られてゐる。祭典は每年十月(不定日)附近の警備員及びブヌン蕃族の參拜によつて行はれゐる。社前に額付いて後、靈峰の絕頂に佇んで四方を俯瞰す時は。身心共に實際の神境にある樣な氣がする。尚寫真の左手に遠く雲海から山頭を現はしてゐるのは尖山(一○五三五尺)である。」(譯:新高神社位於日本最高峰新高主山的山頂。是石造的神社、還無社格。祭神是臺灣神社與大山津見神全體。這座神社起於明治39年10月20日,時森丙牛(森丑之助)登上新高山頂,驚艷山頂絕美的景致,而將臺灣神社的神符放在山頂上奉祀。隔年11 月,將山口宮司的祭文一起在小廟中祭祀。大正14年6月17日,新高郡守今井昌治繼續前郡守但村田之計畫而建立,出動警察職員、「蕃地」警備員及原住民等才完成。照片上的拜殿、玉垣、社殿等,均採集自濁水溪溪底的砂石建造而成。祭典在每年的10月(不定日)舉辦,附近的警備員及布農族族人會前往參拜。在神社前鞠躬參拜之後,佇足於新高山靈峰山頂,俯瞰四方,會達到一種身心合一的奇妙狀態。又照片的左邊,遠方雲海繚繞露出的山頭是尖山(達芬尖山,高10535尺)。)
參考資料
1.新高神社,臺灣記憶日治時期臺灣寫真,國家圖書館,2014/09/29。